Part2 Section 05 近畿大学

日本初で全学生にSlackを導入しブランドイメージ作りにも活用

世耕石弘 氏
近畿大学 経営戦略本部長
奈良県出身。大学を卒業後、1992年近畿日本鉄道株式会社に入社。以降、ホテル事業、海外派遣、広報担当を経て、2007年に近畿大学に奉職。入試広報課長、入学センター事務長、広報部長、総務部長を歴任。2020年4月から広報室を配下に置く経営戦略本部長となり、現在に至る。

学生はメールを見ない安否確認で明るみに出た課題

近大マグロ(完全養殖に成功したクロマグロ)の開発、インターネットによる出願受付導入......常に「全国初」の先進的な話題を提供し続ける近畿大学だが、数年前から「全学生と大学が容易にコミュニケーションできるツールがない」ことに悩んでいたと世耕石弘氏は言う。

「数年前に、とある実験をしたんです。東日本大震災と同じ日に、安否確認メールを全学生に提供しているGmailのアドレスへ一斉送信し、どの程度返信があるかを調査するというものでした」(世耕氏)

結果はわずか数%からの返信のみ。ならばと、学生が持っている個人用のメールアドレスを大学側に登録させ、あらためて安否確認メールを送った。それでも、返信率は20%程度だった。「インターン生に、なぜ返信しないのかと聞いてみました。すると、『そもそもスマートフォンのメールを見ていない』と言われてしまったのです」(世耕氏)

学生からすれば、メールはもうコミュニケーションツールたりえない。薄々感じていた懸念以上の現実が突き付けられた瞬間だった。

有益な情報を伝えるためのパブリックなツールを探して

ゼミや授業における教員と学生、あるいは学生同士のやりとりはどうしていたのかというと、主にLINEがその役割を果たしていたという。

「例えば、学生や教員個人がグループを作り、ゼミのメンバーが登録するという事例はありました。ただし、LINEはどうしても私的なツールという側面が強い。大学として個人のアカウントを把握して、一斉にメッセージを送ることはできませんでした。かといって、Twitterでは不特定多数へ情報を発信することになってしまう。ちょうどいいあんばいのツールがなかなか見つからなかったのです」(世耕氏)

世耕氏がここまでコミュニケーションツールの導入にこだわる理由は、安否確認以外にもう1つある。広報の立場からも、学生へ情報を一斉送信できるツールはどうしても必要だったのだ。

例えば、起業を目指す学生に向けたベンチャーのセミナーがある、こんなに興味深いことをやっている人のイベントがある――そのような学生にとって有益な情報を伝えたくても、なかなか効率的に周知できる方法がなかった

世耕氏は学生とのコミュニケーションについて「大学のホームページも頻繁に更新してはいますが、逐一チェックする学生はほぼいません。キャンパスの入り口の掲示板で情報をチェックするという時代でもないでしょう」と語る。だからこそ、大学側で情報をきちんとコントロールでき、かつスマートフォンで使いやすいツールが求められていた。

KNOW-HOW新しい取り組みに反対する声は想定済み

いざSlackの導入を決めたものの、近畿大学は14学部48学科もあるマンモス大学。内部からの反対は少なからずあった。しかし、そのような声があることは想定内。全員を説得するよりも、まずは前向きな人に使ってもらい、実績を上げて納得してもらうほうが早い。

「本学は、医学部から芸術学部まで、数多くの教員がいます。そのため、新しいことを始めようとすると、当然批判的な人も出てきます。『Gmailで十分』『自分たちの部署では絶対に使わない』、そんな声もありました。だけど、導入時期にはそういう愚痴が出るもの。学生に広まれば、教員も使わざるを得ませんから、特に気にしませんでした」(世耕氏)

かつてワープロからパソコンのWordに変わったときも、反対する人は一定数いましたからね

アメリカの大学でも流行の「イケてるツール」を発見

そのような中で、白羽の矢が立ったのがSlackだ。

「アメリカの大学で広がっているツールがあるということで、話題にのぼったのがSlackでした。チャットツールは世の中に数多くありますが、Slackはほかのツールに比べて、ロゴのデザインや名前もかっこいい。これなら、学生も『イケてるな』と使ってくれると思いました」(世耕氏)

学生に受け入れてもらうには、「最先端、クール、かっこいい」=「イケてる」と思わせる仕掛けが必要なのだという。

「アイコンや画面デザインがいいだけで、ちょっと使いたい、触りたい気持ちは高まります。気にしない人は気にしませんが、デザインはとても大事なファクターなのです。特に若い世代向けのアプリは、いずれもデザインにとても力を入れていると思います。

そして我々が相手にしている学生も、主に18~22歳という若い世代。この世代に興味を持ってもらうためには、常に『イケてる』仕掛けを入れる工夫が必要なのです。Slackなら、アメリカの大学で広がっているという話題もある。デザインも優れている。学生を説得する材料として、これ以上はないと思いました。こういった『引き』があると、学生は興味を持って使ってくれるのです」(世耕氏)。

「全国初」を売りに先進的なイメージをアピール

Slackを導入した理由はそれだけではない。近畿大学では、「先進的なことを行っている」というイメージ作りを大切にしており、Slackの導入は、その一環とも位置づけられる。「Slackを学校全体に導入した理由の1つには、大学のブランドイメージ向上を期待した側面もあります」と世耕氏は率直に述べる。

近畿大学は、2014年度入試で、全国で初めてインターネットによる出願を取り入れたり、続く2015年にも大学として初めてAmazonと教科書販売の提携を行ったりするなど、常に「全国初」の取り組みを行い、たびたび話題になっている。そこには、他大学との差別化を図り、先進的なイメージで近畿大学をブランディングする狙いがある。

「『賢い大学』や『おしゃれな大学』というブランドイメージを持っている大学はいくつもあります。しかし、『新しいことにどんどんチャレンジする先進的な大学』は、意外と少ない。また、ブランド力を持っている大学は100年以上の歴史を持つ伝統校が多く、近畿大学も95年の歴史があるとはいえ、それらと比べると若いほう。そこで、伝統の代わりに、新しいことを次々に取り入れるというイメージ作りを意識しているのです」(世耕氏)

マーケティング視点からも、Slackは最適だったと世耕氏は語る。

「先進的なイメージがあるSlackだからこそ、『日本全国で初めて全学生にSlackを導入した大学』ということがインパクトを持ちます。実際、Slackを導入した当時は、ニュースサイトなどで話題になりました」(世耕氏)

Slack導入のプレスリリース

2020年7月より、約36,000人の全学生・教職員にSlackを導入することをプレスリリースでアピールした。

導入する過程で気付いたSlackを使うメリット

Slackの導入を決定したのは2016年。そこから、どのように広めていったのだろうか。

「まず自分たちの部署内で使い始め、活用状況を見ながら、2018年に全職員、そして2020年に全学生へと導入を進めました」(世耕氏)

Slackを普及させていく過程では、緊急の高い連絡はSlackにしてもらい、優先度の低い連絡をGmailへ送るよう周知。Slackに来た連絡を優先して返信するという使い方を、世耕氏自ら徹底した。「とにかく私に緊急の連絡を取りたい人は、Slackを使うしかないという状況を作った」という。

これが功を奏し、教職員内で普及していった。対応の緊急性を振り分ける意味でも、Slackは優秀なツールだったと語る。

「メールと違い、Slackなら、緊急のメッセージが埋もれずにすぐわかる。教職員の間では『もうSlackなしでは仕事できない』と言っている人もいるくらいです」(世耕氏)

皆が必要としていた大学専用コミュニケーションツール

学生に広めるフェーズでは、あまり苦労はなかったという。Slack社と若手の教員とで協力して、Slackの使い方を説明するイベントも行ったが、学生には短期間で普及したため、何度も繰り返す必要がなかったのだ。

デザインに優れており、話題性もあるSlackは狙いどおり学生に受け入れられたが、「大学専用のツール」に対するニーズも大きかったようだと語る。「私的なツールであるLINEでやりとりをするのは抵抗があったようです。実際、LINEは『誤爆』(メッセージを送信する相手を間違えること)のリスクもありますから。過去、部下が私に、関係ない内容のLINEメッセージを突然送ってきたこともありました」と世耕氏は笑う。

私的なやりとりと大学の連絡をツールの使い分けで線引きできることは、快適な学生生活にもつながるという。サークルやセミナーなどの場で、深い付き合いのない相手と私的な空間でつながってしまうと、そのあとでトラブルに発展する可能性もある。その点、Slackなら大学側でコントロールできるので、トラブルが発生した場合でも迅速に対処できるという。

コロナ禍の大学におけるSlackの役割と展望

コロナ禍により、取材時の2020年8月現在、近畿大学の授業は完全にオンラインのみで行っているという。

「以前より計画はあったものの、現場の負担を考慮して実施できずにいたオンライン授業を実施でき、同時にSlackを全学生に導入することも決められました。大学の授業改革はなかなか難しいものですが、コロナ禍が、オンライン授業の実施に関してはいい機会になったと思います」(世耕氏) 

オンライン授業の基本型はこうだ。授業におけるコミュニケーションは主にZoomで行い、Google Classroomで資料を配布する。さらに、「今後はオンデマンド型の授業が増えると思います」と世耕氏は言う。あらかじめ録画された授業を自分の好きな時間に受け、さらにビデオ会議やチャットでコミュニケーションを取る形式だ。

「オンデマンドなら、すぐ理解できるところは倍速で再生し、わからないところは繰り返し見るような授業の受け方ができるので、科目によっては学習効果が高いですからね。とはいえ、一方的に先生の話だけ聞いていてもつらいだけなので、定期的に学生が集まる機会を設ける、という形が広まっていくのではないでしょうか」(世耕氏)

一方的な配信にならないよう、授業外でのディスカッションやグループワークをどれだけ提供できるかが課題だと語る。そこで役立つのがSlackだ。

「今までは座学で聞いていた授業はオンデマンドで受け、課題は学生をグループに分けて出し、それぞれで集まって期日までに提出させる形をとる場合もあるでしょう。そのようなときにSlackは必須です。Slackで連絡を取り合いながら、課題を進め、提出することになると思います」(世耕氏)

KNOW-HOW会議前にSlackで情報共有し意思決定を素早く

新型コロナウイルスの感染が拡大する未曾有の状況下では、特にSlackが役立ったという。短期間にさまざまなことを決める必要があったため、Slackで「コロナ対策本部」というプライベートチャンネルを作り、会議前に情報交換・共有を終わらせてから会議に臨むようにした。これは非常に効果的で、重要な課題であった卒業式の開催可否も、一瞬で決定できたという。

「私は卒業式の責任者でもありましたが、開催は難しいと認識していました。そこで、参考情報として韓国の教会でクラスターが発生したニュースのURLをリンクしておきました。多くの学生が密集する卒業式では、同様のクラスターが発生しかねないとわかってもらうためです。それを事前に見てもらうことで、会議では共通の認識をもって中止を即決できました」(世耕氏)

YouTube Liveとニコニコ生放送で生配信する「サイバー卒業式」を開催しました

サイバー卒業式の動画はYouTubeに保存されている。こうしていつでも振り返ることができるのも、オンラインならではのメリットだ。

学生が自ら作る未来を応援する大学でありたい

リアルタイムでスピーディーなやりとりが可能なSlackを生かし、授業におけるコミュニケーションやイベントの連絡だけではなく、安否確認も含め、もっと多くの場面でSlackを活用していきたいという。Slack独自の機能「Bot」(自動返信)にも関心があるという。

「例えば、在学証明書や成績証明書を発行しようと思っても、ホームページのわかりにくいところにしか書いていない。わざわざ電話で問い合わせるのも面倒ですよね。Botで手続き関連を容易に調べることができれば、学生も楽だし、大学側の事務作業の軽減にもなります」(世耕氏)

次々にSlackの新しい使い方を提案する世耕氏だが、あくまでも主役は学生だと語る。

Slackは、学生が自由に使い方を考えて、広げていけるツールだと思っています。情報担当の職員が考えるより、そのほうがよっぽど素晴らしい。私たちは、新たに生まれるコミュニケーションのあり方を見ていきながら、適切に支援していくつもりです」(世耕氏)

職場でのコミュニケーションが電話からメール、SNSへと変わっていく中で、近畿大学は常に前を向いている。新しい時代の新しいスタンダードは、自主独往の精神を持った学生たちの中で生まれ、育ち、確かに広がっていく。

オンラインのインタビューにおいて、Slackの魅力を力強く語ってくれた世耕氏。学生の積極的なSlackの活用に期待を寄せていた。

広報視点の発想でSlackを活用学生の活用にも期待

学校法人というと、大企業以上に保守的なイメージが強いが、そこを逆手にとってSlackをブランディングのツールとして活用するアプローチがおもしろい。民間企業の広報として活躍し、「大学は広報に力を入れるべき」との持論を持つ世耕氏ならではの発想だ。

一般的な企業でも、広報的な目線でSlackを検討してみるのは効果的ではないだろうか。トラディショナルで保守的という印象が強い企業でも、「Slackを活用している」とアピールすれば、採用活動で学生からの目線も変わるはずだ。

会議での迅速な判断などで、すでにSlackの効果が見られる近畿大学。学生にアカウントを開放した今、彼らがどのようにSlackを活用し、これからの時代の高等教育をどのように変えていくのかを楽しみにしたい。

KNOW-HOW優れたデザインに触れる、その体験も1つの学び

優れたデザインのツールに触れる体験も、学生にとって大切なことだと世耕氏は語る。

「現代は、デザインの力をブランド構築やイノベーション創出に生かす『デザイン経営』が重要な時代になっています。デザインの力を体験する意味でも、導入してよかったなと思います」(世耕氏)

このことは、筆者も同意する。物理的な仕事道具でも、素っ気ない事務机よりはいいデザインや材質の机、自分で選んだ質のいい筆記用具などを使うことで、気持ちが乗って、よりよい仕事や学びをしようという気持ちになれる。数あるチャットアプリの中でも、Slackはそうしたデザインの力を強く持っている。

個人的に言うとAndroidよりiPhone、Windows PCよりMacというように(笑)、洗練されたUI(ユーザーインターフェース)を使ってみることで、思考がアップデートされるのではないでしょうか

※「Slackデジタルシフト」の取材は2020年8~9月に、ビデオ会議を利用して行っています。