Part2 Section 02 マスヤグループ

「自律分権型」組織運営へ。Slackがその促進に貢献

浜田吉司 氏
株式会社マスヤグループ本社 代表取締役社長
1986年慶応義塾大学経済学部卒業後、大手証券会社勤務等を経て、2001年から現職。マスヤグループは菓子製造業、酒類製造業、介護事業、飲食事業など9社からなる社員500人あまりの企業グループで、三重県と茨城県の経営品質賞各賞を各社で受賞している。2018年から自律分権型組織への移行に取り組んでおり、その情報インフラの一環として2019年からSlackを導入している。

神山大輔 氏
株式会社マスヤグループ本社 執行役員 グループCIO
1997年に日本電気株式会社に入社し、CRMやBI領域の販促を担当。2003年に日本CA株式会社に入社。ITマネジメント・ソフトウェアの世界的なリーディングカンパニーで国内大手企業へのセールスに従事。2019年に三重県伊勢市に本社を置くマスヤグループ本社にUターン転職。業種業態の異なるグループ企業において情報システムを横断的に統括、グループ全体のDXを推進している。

一度は断念したSlack導入がキーマンの加入で再始動

三重県に本社を置くマスヤグループは、主に関西で販売されている人気のお菓子『おにぎりせんべい』をはじめとする製菓を中心に、ホテルやブライダル、酒造、商社などさまざまな事業を展開している。同グループにSlackが導入された経緯には、社長の浜田吉司氏が理想とする「自律分権型」の組織像が深く関係する。

幅広く事業を展開するグループ全体を、トップが隅々まで見て舵取りするのは無理がある。各グループ会社の社長や現場のリーダーに権限を委譲していく自律分権型の組織への移行を、浜田氏は考えていた。

トップが全体を支配する「管理統制型」でなく、メンバーひとりひとりが考えて働く自律分散型へ、という考えに似た組織論として「ティール組織」がある。日本ではフレデリック・ラルー氏の著書『ティール組織ーマネジメントの常識を覆す次世代型組織の出現』(英治出版、2018年)が知られ、圧倒的に強い力を持つトップが支配する組織から、個々のメンバーが自律し調和する組織への移行を説いた内容だ。

このティール組織の代表格とも言われるブラジル・セムコ社のCEO、リカルド・セムラー氏が2017年6月に来日した際の講演を、浜田氏は聴講した。セムラー氏は40~50人いた聴衆に「この中でSlackを使っている人は?」と聞いたという。このときは誰も手を挙げなかったそうだが、セムラー氏は、ティール組織にとって重要なツールであるとSlackを紹介した。

浜田氏はこれをきっかけにSlackの存在を知る。しかし、当時のSlackはまだ日本語に対応しておらず、詳しい情報が見つからなかったため、マスヤグループでは別のコミュニケーションツールを採用した。だが設計思想の違いから浜田氏が期待していたような成果につながらず、「これじゃない」感があったという。

それから時を経て、導入のキーマンとなる神山大輔氏が、CIO(最高情報責任者)としてマスヤグループに参画する。神山氏はもともと東京のITベンダーで営業を担当しており、SlackやZoomの日本法人に足を運ぶこともあったそうだが、Uターン転職でマスヤグループへ。これを機に浜田氏は、次世代のコミュニケーションツールとしてデファクトスタンダードの地位を築きつつあったSlack導入をあらためて決意。

運用開始に向けて神山氏は調査を始め、例えばチャンネルの使い方1つについても先行事例に学び、ときにはユーザー企業に教わりに行ったという。そして2019年春に運用がスタートするが、浜田氏は「彼(神山氏)のような人物がいたおかげで素早く導入できた」と目を細める。

経営者は一歩引いたところで現場を「チョイ見」

それから1年ほどが経ち、浜田氏は「Slackは自律分権型の経営と相性がいい」と確信する。「現場の事実」を正しく知ることは経営者にとって基本的な課題ながら、実際にはなかなか一筋縄ではいかないとつねづね感じていたという。

「経営者は、通常だと担当者やリーダーからの『報告』として、現場で起きたことを知ります。しかし、報告はどうしても報告者の解釈が入ります。特にネガティブなことであれば、印象を和らげたい、責任を回避したいと誰もが考えるでしょう。そのため、丸ごと事実として捉えるのは危ういと感じていました。従来の『報告』の形には限界があります」(浜田氏)

しかし、Slackであれば、社員同士の業務の報告や相談、意見などを、そのまま見られる。浜田氏はこれを現場の「チョイ見」と表現したが、Slackのログには、報告ではないありのままの現場の事実があると言うのだ。

浜田氏は現場を「チョイ見」する一方で、その場に介入することは控えている。その理由は、社員同士のやりとりに「社長が見ているから」と変なバイアスが入ることを避け、社員が自身の考えや主張などを発信することに抵抗を感じる状態、すなわち「心理的安全性」が低下した状態になることを防ぐためだ。

心理的安全性を確保したうえでのコミュニケーションを

心理的安全性を確保するという考え方は、浜田氏自身のSlackの使い方だけでなく、同社のSlackの運用方針にも大きく影響を与える。導入前から浜田氏は「チャンネルの参加者によって発言内容が変わるのではなく、例えば社長が目の前にいるときに『社長は○○と言っていたけれど、こうすべきだよね』といった意見を言っても問題ないような場にしたい」と考えていた。

ただ、心理的安全性という言葉だけを説明しても、すべての社員に理解してもらうのは難しいかもしれない。そこで、浜田社長自ら、Slackのワークスペースを心理的安全性が確保された状態にすることに尽力している。

「Slackでは否定しない、指示しないといったことを心がけ、時間をかけて心理的安全性の確保されたワークスペースを作ろうとしています」(浜田氏)

社長自らがここまで配慮してSlackを利用しているのは感心するばかりだが、心理的安全性を重視すると、それを逆手にとった社員が社内の規律を崩壊させかねないのではないだろうか。自分の考えを自由に表現できることは「何を言ってもいい、無礼講である」のような勘違いを与えるからだ。そのような疑問をぶつけてみると、頼もしい答えが返ってきた。

「理念に基づく経営をこれまで10年あまりにわたって行ってきました。そのせいか、変な方向に向かう社員はいないんですよ(笑)。上意下達で規律を守らせるのではなく、組織内に『それはやってはいけないでしょ』と互いに指摘し合えるような関係性を作るのが重要だと考えています」(浜田氏)

全社での運用ルールについても、それほど細かく決めたものはないという。

「チャンネルを作る際に簡単なルールはありますが、基本的には自由に作ってもらっています。ルールといっても部署単位の場合は「#gr-」、プロジェクト単位の場合は「#prj-」と付けるくらいで、違っていたらこちらで直します。ただプライベートチャンネルは、役員会議などを除いて基本的にはなし。こちらで管理できなくなるという問題点もありますからね」(神山氏)

KNOW-HOW社員の心理的安全性を下げないように振る舞う

心理的安全性とは、ある場、ある集団の中で自分の考えを自由に発表しても不利益を被ることがないと思える状態のことだ。現場の事実や生の声を正しく知るには、どのような発言をしても受け止めてもらえると感じられる心理的安全性の確保が必須。そのため浜田氏は、社員に「社長がいるから発言に気を付けなければ」という心理的な負担を感じさせないよう、Slackでのやりとりは基本的には黙って見ており、反応する場合も「いいね!」などの絵文字を付けるに留めている。これにより浜田氏はSlackでバイアスのない「現場の事実」を見られるようにしている。

Slackにおける経営者の振る舞いのコツは気配を隠すこと。

黙って現場の様子を見守りましょう

心理的安全性が低くなる要因

工場の現場間でもSlackで情報共有

「おにぎりせんべい」の製造工程でも、Slackは活用されているのだろうか? 質問すると、浜田氏はわかりやすい例を挙げて説明してくれた。

「これまで、各部署の作業内容は部署長が統括し、ほかの部署のメンバーは見られませんでした。しかし、Slackでは別の部署の情報も見ようと思ったら自由に見られる。このおかげで『おにぎりせんべい』の生地作り、焼き、包装の各工程の部署がお互いに情報共有できています。例えば、焼く作業にとってちょうどいい生地作りができているかを確認できるようになったのです」(浜田氏)

ほかにも、これまで担当役員がまとめたものを受けとっていた営業日報をSlackで直接ほぼリアルタイムに確認したり、多彩な部門の人が同じ商品について話し合う場面が増えたりと、さまざまな面でメリットが現れているようだ。

また、別方面でのメリットも。マスヤグループはSlackだけでなくZoomも早くから使っていたこともあり、コロナ禍でもスムーズにテレワークへと移行できたそうだ。浜田氏は「テレワークになったらサボる社員もいるのでは、という不安はもちろんあった」と当時を振り返る。

「でも、そこを各社員に任せてこそ自律分権型の経営だし、ガチガチの管理をするのは以前の体制に戻ること。とりあえず『いろいろなことに目をつぶってやってみよう』とテレワークを始めました。今のところ特に問題は起こっていません」(浜田氏)

ここでも自律分権型の経営とSlackの相性について手応えを感じたようだ。

社員は想像以上に仕事について考えている

社内でのSlackの浸透は、浜田氏の心境も変化させる。「報告」というフィルターを通さずに現場の事実を見続けることで、現場のポテンシャルの高さを実感できたという。

「社長がどれだけがんばろうと、しょせんはひとりの人間。現場を信用して参画意識を高めたほうが仕事の質は上がります。その証拠に、今ではいろんな組織で私からは出せないような意見やアイデアが出てきています。

それに、Slackで現場の様子を見ることで、みんな想像していた以上に仕事について深く考えてくれていることに気付けて......。『お前、今まで知らんかったんかい』と言われそうで恥ずかしいですけど(笑)」(浜田氏)

Slackが浸透し、ありのままの現場の様子や社員の考え方が見えるようになったことで、社員への信頼は高まっているようだ。自律分権型組織への移行当初は「手綱を放す」ことに不安もあったそうだが、「今では、自分が考えていたものより現場からは一段上の意見が出てくるという期待感があります。最近は手綱を手放す寂しさが快感になってきました」(浜田氏)と明かす。

取材に応じる浜田氏。Slackの導入を通して、マスヤグループを自律分権型組織へと転換させた。

仕事を円滑に進めるために互いの背景を知る

さらに浜田氏は「一緒に仕事をするうえで互いの背景をわかっていることが重要。背景を知っているからこそ担当者の判断を恐れずに受け入れられる」と強調する。

「以前使っていたコミュニケーションツールは、既読機能やタスク機能が充実していて一見便利でした。でも管理する側は既読機能について『なんで既読数が増えないんだろう』とイライラしたり、社員側はタスク機能について『また仕事が増える』と感じてアプリを開くのが憂鬱になったりして......。その点、Slackなら既読の有無はあえて隠されているし、情報がオープンに飛び交うので、タスクの担当が決まる経緯も明らか。自律分権型組織に必須の相互理解に役立っています」(浜田氏)

その一方で、クローズドなやりとりを排除しない柔軟さも併せ持つ。Slack上で社長の個人的な思いをシェアするような場を設けているか聞いてみると、20人ほどの役員や遠隔地にいる幹部それぞれと、1対1のダイレクトメッセージで日報を交換しているというのだ。

衆人環視の場で交わしづらい意見や情報もあるもの。浜田氏は「オープンなコミュニケーションは素晴らしいですが、1対1だからこそ話せることもあります。両者を使い分けたほうがいい」と語る。

社長のスタイルが幹部にも浸透

目立つ発言は多くないが、Slackを使いこなしている浜田氏のスタイルは、社員にいい影響を及ぼしていると、神山氏は語る。「社長が見てほしいところを見て、いいところで絵文字を付けてくれる。そうしたスタイルを皆がわかっているので、ほかの役員や部門長も、それに追随したスタイルになっていると感じます」。

マスヤグループでのSlackの導入は、社長からのトップダウンで行われた。しかし、広まり方は、浜田氏を率先ユーザーとするボトムアップのような形だと捉えられる。自律分散型組織のための理想的な使い方が、自然と浸透しているようだ。

Slackをより上手に使ってほかのグループ会社の手本に

ここまで語っていただいたのは、浜田氏が代表取締役社長を務めるマスヤグループ本社とマスヤにおける話で、ほかのグループ会社では、徐々にSlackによるコミュニケーションが盛んになっていっているところだ。

浜田氏自身は自律分権型組織への転換やSlackの利用をグループ標準にしたいという思いは持ちつつも、「そうした考えを押し付けるのも、管理統制型のパラダイムではないかと。各社の社長のスタイルがあるだろうし、そこは任せることにしています」と、グループ会社の運営については各社の社長のやり方を尊重している。

それでも「今後は先進企業の事例も学びながら、もっとSlackを上手に使っていきたい。そしてグループ会社でもSlackをプラットフォームとして使ってもらえるようになるとやりやすいかな」と展望していた。

KNOW-HOWチャンネルでのやりとりとDMを使い分ける

浜田氏は基本的にはオープンにコミュニケーションすることを志向しながらも、役員や幹部との日報的なやりとりにはダイレクトメッセージを使用している。これはオープンな場ではできない意見なども交わしやすくするためだ。

業務上のやりとりはオープンに行うことを筆者も推奨するが、一方で、個人的な近況や考えなど、オープンには話しにくいことは、誰にでもある。パート1 で「1on1」の対話による信頼関係の構築について述べたが(P.13参照)、浜田氏はオープンとクローズドを使い分けたうえで、クローズドの場を1on1的な用途に活用していると考えられる。

ほかにも役員会議は、役員だけが参加可能なプライベートチャンネルで行われているとのこと。何でもかんでもオープンチャンネルというわけではなく、用途に応じて使い分けているわけだ。

1対1でしか聞き出せないような話をする場合は、やはりダイレクトメッセージを使うのが有効ですね

工場の見える化やIoT化にSlackを役立てる

今後の活用方法について神山氏に水を向けると、「工場の見える化やIoT(Internet of Thingsの略。機械がインターネットに接続し、センサーで検出したデータなどをやりとりすること)化に取り組んでいきたい」と語る。

すでにマスヤではその一部は実現しており、超音波センサーを通じてベルトコンベアーを流れる段ボールのケースをカウントし、下図のようにSlackで共有。それを見て「今日は500ケース欲しいけど今いくつあるんだっけ?」といったやりとりが行われているそうだ。しかもこれを、現場の人々が自ら学んで開発したというから驚きだ。

この例を挙げた神山氏は「今後は個数だけではなく、温度センサーなどいろいろなセンサーを活用して見える化を進めたい。ただしお金がかからない範囲で(笑)。人ではなくプログラム・AIだからできることをどんどん実現したい」と語っていた。

自律分権型組織の基盤として期待されるSlack

マスヤグループでは、自律分権型組織への移行というビジョンがあり、それに従ってSlackが導入された。Slackはチームの仕事の様子が、チャンネルでそのまま共有される。これがトップにとっては浜田氏のいう「正しい事実」であり、製菓工場のような現場にとっては、従来難しかった横連携の実現となる。

オープンな情報共有、フラットなコミュニケーションとよく言われるが、Slackがそのための基盤となることを、マスヤグループの事例を聞いていて、あらためて感じた。

Slackを活用して、マスヤグループでは、経営者と社員が互いを信頼しての業務が展開しつつある。情報共有のスタイルを変え、コミュニケーションを変革し、やがて組織のあり方も変えていく、貴重な例だといえるだろう。

段ボール箱の個数をSlackで自動共有

ベルトコンベアーを流れる商品を詰めた段ボール箱をカウントし、PCでリアルタイムに照会可能にしている。Slackには時間あたりの箱数(ケース/h)を自動投稿しており、製造状況を確認できる。

※「Slackデジタルシフト」の取材は2020年8~9月に、ビデオ会議を利用して行っています。